東の街の歴史

「東の街10周年記念誌」や「芝生広場にしろくまのモニュメントが来るまでの物語」など、タイムカプセルから飛び出してきたような資料を掲示します。

教えて、どうして東の街にシロクマがいるの?

シロクマの親子は東京のある市から、「歩いて」ではなく、「トラックに乗って」やってきたんだ。今から30年前にね。その年の1994年は東の街ができてちょうど10年目だったので、10周年の記念事業としてやってきたというわけなんだ。

「東京のある市」はどこかって?

東京都のちょうど真ん中あたりにある「立川市」なんだ。JR横浜駅から行くと、川崎駅で乗り換えて約1時間5分で立川駅に着くんだけれど、そこから歩いて約10分のところに「国営昭和記念公園」という、とても広い(180ヘクタール)公園があるんだ。そこにシロクマの親子はいたんだよ。

シロクマの親子を作った人は明地信之さんという彫刻家(ちょうこくか)で、石で動物を作るアーチストなんだ。シロクマ以外にカバクジラライオンうさぎなどを作っているんだ。

シロクマの親子が東の街にやってきた理由について、もう少しくわしく説明するね。

東の街誕生満10年の記念イベントのために企画委員会がつくられ、その委員長に3号館に住む鳥飼説夫さんがなったんだ。「記念に何か作りたいね」と相談していたところ、東の街に住んでいるある人が明地さんを知っていて、シロクマが「ただ」でいただけることが分かったんだ。実は、1994年には運よく昭和記念公園で国際彫刻展が開催されていて、明地さんはシロクマの親子を出展していたんだ。シロクマはイタリアの大理石で作られていて、その大理石の名前は「ビアンコカラーラ(Bianco Carrara)」というらしい。ビアンコは「白」という意味で、カラーラは地名なんだけれど、あの有名なミケランジェロもこのビアンコカラーラを使っていたそうだよ。

1994年8月27日の土曜日、納涼祭の日の午後5時30分、シロクマの親子を披露する儀式が芝生広場で開かれ、おおぜいの人が見守る中で明地さんに感謝状が贈呈されたんだ。改めて、明地さんにお礼が言いたいね。「明地さん、ありがとうございました!!」

 

 

 

2011年の夏、品濃小学校3年2組の児童たちが「まちたんけん」という社会科の授業(じゅぎょう)でシロクマを調べ、7つの質問を鳥飼さんに届けたんだ。すごいね。実は、この文章はその質問に対する鳥飼さんの答をもとにつくったんだけれど、その中に「シロクマの足をよく見たら切れ目(割れ目?)がありました。あれは何ですか。」という質問があったんだ。するどい!「トラックで運んでくるときに車の振動(しんどう)などで割れてしまった」というのが答なんだけれど、よく見付けたものだと鳥飼さんは感心したそうだよ。下の写真はその児童たちの調査風景。真剣だね。