品濃町の歴史
「ニューシティ東戸塚」に変身する前の品濃町は一体どんな姿だったのでしょうかその姿を歴史的に探ってみたのが「第一部 品濃町の歴史を探る」です。そして、「第二部 古老が語る、東戸塚とその周辺の話」は、生粋の土地っ子の笠原美和様が主に昭和の庶民の姿を活写されたお話しです。
「ニューシティ東戸塚」に変身する前の品濃町は一体どんな姿だったのでしょうか。
その姿を歴史的に探ってみたのが「第一部 品濃町の歴史を探る」です。
そして、「第二部 古老が語る、東戸塚とその周辺の話」は、生粋の土地っ子の笠原美和様が主に昭和の庶民の姿を活写されたお話しです。
4-206に居住する篠田伸夫と申します。縁あって平成25年6月に東の街に住むことになり、丁度10年が経過しました。昭和18年7月生まれの満80歳です。
平成30年に図らずも自治会の広報担当役員となり、「EAST TOWN NEWS」を編集することになりました。そのときに役員の皆様のお許しを得て始めたのが「品濃町あれこれ」の連載でした。自分自身にとって終の棲家になるに違いない「東の街」、それが所在する「品濃町」について、どのような歴史があるのかを知りたいというのが連載の動機でした。
令和3年にはこれまた図らずも管理組合の理事になり、副理事長を2年間経験いたしましたが、その間、令和4年3月にはソフト面の長期構想づくりに関係して「まちづくり委員会」を設置することになり、委員長を務める羽目になりました。先ず勉強会から始めようとして開始したワークショップでは「まちづくり=つながりづくり」であることを学び、遂には「つながる」をキーワードに委員全員で4つのプロジェクトを立ち上げることになり、その結果生まれたプロジェクトの一つが「歴史を知る」でした。
このことは何を意味するでしょうか。
全く新しく開発された街、「ニューシティ東戸塚」に住む者にとって、この土地の歴史を知ることは自らのアイデンティティを確立する上で不可欠なのではないか。それが「歴史を知る」をプロジェクトの一つとした意味に違いないと考えた私は、「品濃町あれこれ」を土台に、「品濃町の歴史」を執筆してみることにしました。
歴史家でもない、単なる好事家の一住民が気の向くままに書いた「品濃町の歴史」に過ぎません。果たして皆様の期待に応えられているかどうか、全く自信はありませんが、先ずは目を通していただければ幸いに存じます。そして、感想なり、ご意見なり、ご提案なりをお示しいただければ更に幸いに存じます。
令和5年7月
篠田伸夫
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Q4 品濃町の歴史は一体いつ頃の時代まで遡れるのでしょうか?
Q5 江戸時代の品濃村の住民生活はどのようなものだったのでしょうか?
Q6 明治時代の品濃村の住民生活はどのようなものだったのでしょうか?
Q6-2 品濃町と川上町を繋ぐガード(地下道)はどのような経緯から造られ、今に至った のでしょうか?
Q7 開発前の、昭和時代の品濃町の住民生活はどのようなものだったのでしょうか?
Q8 品濃町(村)は、昭和 14 年に横浜市に合併されるまでの 655 年間は相模国鎌倉郡に 属していたとのこと。そのことはどのような意味を持つのでしょうか?
Q9 谷宿公園近くの共同墓地に新見家の墓がありますが、新見家と品濃町はどのような 関係にあったのでしょうか?
<2024年3月8日 平 凡事さまよりご感想をいただきました>
恐らく誰もこの何の特色のない品濃町の歴史に思いを馳せることなどないと思っていましたが間違ってました。それを感性溢れる「転入者」がやってくれました。ほんの些細な物や事象に興味を抱き、探偵が謎解きするが如くひとつひとつ丁寧に紐解いて小さな歴史を追及し大変分かりやすく真実を解き明かしてくれています。啓蒙され感服しています。
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令和4年の夏、突然ある一本の電話が入った。
電話の主は「ニューシティ東戸塚 東の街」住人のS氏という人で、話の趣旨は、S氏のマンションでこの夏計画しているイベントのプログラムの一つとして、品濃町の昔の話をして貰えないかということであった。
東の街の住人は、昭和55年のJR東戸塚駅開業の4年後に移り住んだ人達で、
それ以前の品濃町がどんな町だったかを知らない人ばかりなので、その辺の話を
是非聞かせて欲しいという注文である。
この話の依頼については、いろいろの経路を経て私に行き着いたそうである。
同年9月23日、タイトル「品濃町アラカルト」ということで、マンションの集会室で2時間程度の話をした。
その際、私が大分前に自費出版した著書「WALK・DE・柏尾川」という冊子を土産代わりに持参した。
そんなキッカケで、S氏と、そのお仲間とのお付き合いが始まった。
そのお付き合いの中で、「今度、マンションでホームページ」を立ち上げるという話が出て、ついては、前述の「WALK・DE・柏尾川」を掲載したいので使わせていただけないかということになった。
私は、特にお断りする理由もないので、どうぞお使い下さいと了承した。
了承はしたものの、そのまま掲載するには、部分的に多少の抵抗があったので、タイトルを「古老が語る、東戸塚とその周辺の話」として内容を絞らせて頂くことにした。
絞ることによって、原著とは、若干一貫性を欠くことになったが、元々、一話完結的の話なので、それでよしとして掲載OKとすることになった。
話は、概ね10年以前の状況をベースとしているので、今の状況と異なる部分もあるがご容赦願いたい。
この拙書が、後世の方に多少の雑学ネタになれば幸いである。
語り部 笠原美和 戸塚区上品濃在住 (昭和18年生まれの土地っ子)
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